これまでなおざりにしてきたことをする

昨日のこれまで精神の支柱にしてきたアイデンティティがもはや私にとって意味をなさないことをカウンセリングの先生に報告した。

 

カウンセリングの先生と話して下記の結論を得た。

・(アイデンティティは消失したが、おおむね元気であると私が伝えたことを踏まえて)アイデンティティはないのに元気なことは精神が非常に穏やかで安定している。良かったね。

・確かにこれまでのアイデンティティはなくなったが、今までなおざりにしてきたことをちょっとやって、何かしら自分に良い影響があると良いね。

 

では、今までなおざりにしてきたこととは何か。

それは今までのアイデンティティでは否定してきたことである。

つまり「それをやっても他人からすごいねと言われなさそうなこと」である。

例えば映画環境、季節の行事への参加、apple製品の使用などである。

apple製品については前回記載したため、今回は映画鑑賞と季節の行事への参加について言及する。

 

映画鑑賞。

この世で最も無駄な行為の一つぐらいに思っていた。私は親を映画鑑賞に殺されでもしたのだろうか。いや違う。映画は一説によるとユダヤ人が生み出した三大Sの一つ(Screen)で人間から思考力を奪うものの一種らしい。会社の先輩が言っていた。大学でユダヤ人問題を履修した私からすると、いやナチスドイツがユダヤ人をドイツから追い出して、仕方なくアメリカにきたユダヤ人が既得権益のない新規産業に就業したらたまたま映画産業だったたけであって狙ってたわけじゃないなどと反論したくなったが、まぁよい。事実映画は時間とその見ている間の思考力を奪う。それは私にとって事実だ。

 

しかし、先日「ライフハック大全」という本を読んで週1回映画を見ることにしているのだが、大変良い効果を感じている。それは映画を見ることで、その時間は映画に没頭することができる。つまり、現実を完全に忘れることができるのだ。これは…今までやってこなくて正解だと思った。もし中高生時代に映画にハマっていたら勉強しなくなっていただろう。挙句の果てには、映画監督になる、などと言い出していた可能性が高い。

 

次に、季節の行事への参加がある。

完全に今までなおざりどころじゃない、バカにしていた。だってバカでもできるから。バカになりたくない私がやることじゃないと思っていた。何故毎年毎年同じことをするのか。生産性があるとはとても思えない。でも今となっては思う。その生産性とは何か。GDPに貢献すること?しかしたたが労働者の一人である私がいくら身を粉にして労働したところでGDPは動かない。であれば、何が生産性なのか。むしろ、ムーミン谷のスナフキンのように、ミイのように季節の変化を感じて、毎日ただ生きていることを感じた方がよっぽども人間に生きている価値があるのではないだろうか。

 

ということで、今年は季節の行事を大事にしている。

おせちも食べたし、初詣に行った。七草がゆを食べ、豆をまき、豆を食べ、太巻きを食べた。ひなまつりのあられも食べた。

特にそれをしたからって、億万長者になれるわけではないけれど、去年やおととしみたいに「気が付いたら一年が終わっている」ことは防げるのではないだろうか。

 

ということで、今年は映画鑑賞と季節の行事への参加を積極的に行っていく所である。